Flying
もしわたしに羽があれば、部屋の窓を開け放って、大空に向かって羽ばたいて行っていしまいたいと思うときがある。
飛び立ったら、まず思いっきり高くに上がる。そうしたら自分の住んでいた街とか、よく行った喫茶店とか、通っていた学校とか、仲の良かった友達の家とか、それまでわたしがどういう風に暮らしてきたのか分かるだろう。
高くから街を見下ろすと、小さかったり、大きかったり、縦長だったり、横長だったり、とんでもなく広かったり、いろいろな形の家がひしめき合っている。まるで自分の居場所を必死に守るがっしりとしたちっぽけな「箱」たちだ。
でも豆粒ほどの家の中には、それぞれ家族や恋人や友達が一緒に住んでいるか、あるいは一人暮らしをする人もいる。小さな家の中では、日々幸せや不幸せな出来事が繰り返されていて、それはつまり毎日何かが見渡す限り街中で起こっているということだ。
わたしは自分がそれまで暮らしてきた「箱」から飛び出してみたいと思った。出来ることなら、突然に。なぜかと言われてもはっきりとは言えないが、自分が見たことのないものを見てみたくなっただけだ。大した理由なんてない。だからはっきりと言えない。誰もが納得できる理由があれば飛び立てるなんて、出来ないことだ。万人を納得させる理由をこしらえるだけで一生を費やしそうだ。そうなってしまってはわたしの願いを叶えることはできない。願いは生きているうちに叶えたい。
いざ飛び立って、何もわたしを止めるものがいなくなると、今度は自分で軌道修正をしなくてはいけなくなる。
どこに行くのか?どこに帰るのか?どうやって食べていくのか?生命活動に必要なものをすべて自分自身で決めないといけなくなる。
一人は自由だが、みんなわたしのせいになる。
もし空を飛べたらどうするか考えてみたが、実際に空を飛べだとしよう。
元々空を飛べないわたしが空を飛べたことを自由だと言っても、その先永久に空を飛び続けることしかできず、元の生活に戻れないとしたら、わたしは地上に降りて歩くことを懐かしく思うだろう。
かつて自分がいた場所を思い出してもそこには戻れないから、少し寂しくなって、今まで経験した出来事の全てに思いを巡らすことしかできない。
それでもわたしは、少しだけ悲しんだ後にじっと前を見据えて、当てもなく羽ばたき続けるだろう。
行き場所は分からない。でも、帰る場所はわたしが見つける。
どうやって生きるのかなんて分かりっこない。何をすれば正解かなんて、その時になってみないと知ることなんてできない。
だからわたしは、先の分からない行き先を見つめて、わたしの心の行くままに羽ばたいていくのだ。
なぜなら、わたしは誰よりも「わたし」を信じているから。
みんなわたしのせいにする覚悟があるから。
空は限りなく広い。